ヤンキーに囲まれながら小説家を目指した男の末路

ヤンキーに囲まれながら小説家を目指した男の末路

今回お話をうかがったのは、サンミュージック所属のお笑いコンビ「アメリカンコミックス」の飯島さん。小説家を志していた学生時代の悲しい思い出とは!?

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「実は僕、昔から小説家になりたくて、中学生の頃はクラスの端っこでずっと机にかじりついて小説を書いてるような人間だったんです。でも、僕の通っていた中学にはヤンキーが多くて、僕みたいなのはイジメの格好の的なんですよ。小説を書くのを邪魔される上に『変態メガネ小説家』っていうヒドいあだ名をつけられていて。それがもう悔しくてしょうがなくて。でも、あるとき、ふと思い付いたんです。『僕の小説の才能を知れば、この人たちも、僕をいじめることなんてないはずだ』と。

 

それである日、自作の小説を印刷して、誰も見ていないときに、クラス全員の机に入れておいたんです。そしたら、次の日からあだ名が『変態メガネ小説家』から『変態』に変わってました。小説を書いていることに対するイジりもますます激しくなっていって、とてもじゃないけど、教室で書いていられるような状態ではなくなってしまったんです。そのことが本当に悔しかったので、『ヤンキーが進めないような進学校に進んでやろう』と決意したんです。それで、そこで思う存分、小説を書けばいい、と。

 

だから、先生の印象を良くするために風紀委員をしていたんです。風紀委員の仕事は、いつもノートを持ち歩いて、服装が乱れている人がいるとか、物を壊してる人間がいるとか、そういうのを見つけたら、それを逐一メモして先生にチクることでした。あんまりやりたくない仕事なんですけど、それをしていたら先生の評価が良くなって、無事に進学校に進めました。

 

そこはヤンキーもいないような環境で、『よし、これで思いっきり小説を書ける』と思ったら嬉しくなって、毎日ノートを持ち歩いて、街に出てはいろいろなものを観察して、思いついたことをメモしたり、お話を書いたり、っていう生活を送っていたんです。すると、別の高校に進んだヤンキーたちの間で、『あいつは高校でも馴染めずに、街で自主的に風紀委員をやっている』って噂になっていたんです。それを知ったときは、もう悔しくて、悔しくて、泣きたくなりましたね」